21/3/7に、名古屋城本丸内堀発掘調査の成果公開と学芸員による解説が行われました。
午前の部には40人近くが詰めかけ、熱心に話を聞いた後に質疑応答も活発に行われました。
21/3/7 特別史跡名古屋城跡 本丸内堀発掘調査の概要(配付資料)
http://www.nagoya.ombudsman.jp/castle/210307.pdf案内文
http://nagoya.ombudsman.jp/castle/210225-2.pdf
解説をした木村有作学芸員は以下述べました。
内堀に地中レーダーをかけたら、内堀の底から反応が出た。
掘ってみないとなにかわからないので発掘したところ、江戸時代初期、築城時の土とともに大きい石が面を向けて並んで出てきた。
北で東西方向に石列が並んでいるのと同様、南に25メートル離れたところでも東西方向に石列が並んでいた。
石垣の特徴を持った何らかの遺構ではないかと思う。
南北石列のちょうど真ん中には、大天守の「切り欠き部分」がある。
なお、石列は大天守には接続していない。
過去の絵図を調査すると、当初は大天守西側にもう一つの小天守を建設する計画があった。
大阪城などでは埋没石垣は結構発見されてきたが、名古屋城ではこれまで見つかってきていない。
喜びと戸惑いというか非常に慎重に調査が必要。
質疑では、「新聞報道では、これで発掘終了とあった。今後調査はしないのか、胴木が発見される可能性は」などありましたが、「発掘調査は目的があり、予算を必要とする。今回は何らかの遺構があればそこで発掘終わりというものだった。新聞報道は書きぶりであって、今後も引き続き調査はやりたいと考える。歴史学は一つ結論を出しても新しい事実が出ればまた考えるもの」とのことでした。
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今回、木造復元事業の進捗と石列発見の関係の説明はありませんでした。
今回発見された石列の正体はわかりませんが、絵図にあるように幻の西小天守の石垣の一部であれば大発見だと思います。
これらを埋め戻すだけでなく、現天守解体・木造復元のために内堀全体を埋めて重機を載せて、石列は大丈夫なのか。また、石列の全体像を当面調査しなくてよいのか。
木造復元事業自体を再検討する時期が来ているのではないでしょうか。







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名古屋市民オンブズマン 名古屋城問題ページ
http://www.ombnagoya.gr.jp/tokusyuu/goten/index.htm