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選挙の年に
新海 聡
今年は統一地方選と参議院選が行われることから、選挙の年、といわれている。同時に、平成最後の年ということもあり、平成回顧的な報道も目立つ。そうした中で、朝日新聞が「平成その先へ@東海」という特集で、市民オンブズマンを取り上げてくれた(1月9日付朝刊)。ご覧になった方も多いと思うが、情報公開を用いた行政監視、という視点から、95年の官官接待の追及について記載されている。我々にとって元気の出る記事だ。情報公開制度を用いた行政監視は、確かにそれまでにはなかったことだと思う。では、あれから24年、情報公開制度はどこまで充実したか。たしかに食糧費や旅費、交際費といった違法な支出が問題となったものについては、ほぼ公開されるようにはなった。しかし、市民が政治に参加するツールとして情報公開制度を考えたとき、最も公開されなければならない情報は、行政が何かを決定する過程の情報だ。政権や自治体の首長が何をしようとしているかを市民が知り、これに意見を述べることで、行政の決定に市民の意見を反映させることを情報公開制度は目指しているからだ。ところが、決定前の議論のプロセスが公開されることは、ごく希だ。立法課程の情報などは国会に法案が上程されて初めて公開する、という運営が続いている。しかし、今の国会では情報をもとにした十分な議論は期待できない。誰が言い出したか知らないが、議論の内容ではなく、審議時間だけをもとに裁決が強行されることの繰り返しだからだ。自治体でも然り。名古屋市はあれだけ大きな議論になっている名古屋城天守閣木造化についての情報の多くを「政策を形成する過程の情報だから」という理由で公開していない。こうしてみると、情報公開制度の充実度は、政治がどれほど民主主義の原理に忠実に行なわれているかの物差しと言える。この一年、財務省や文科省、防衛省で公文書の管理の問題があれほど問題になりながら、政権が公文書管理法の改正をしようとしないことは、政権の体質を示している。
さて、愛知県では知事選が告示された。愛知県には公文書管理条例はない。しかし、現職はもちろんのこと、対立候補も公文書管理条例の制定については今のところ全く触れていない。このままでは、愛知県政の民主的な運営も不安になる。しかも、選挙の年、という割には、空気が冷めているように思える。だが、こうした選挙に対する体温の低さが低投票率につながり、低投票率が政治の暴走を生み出す(支えている)ことを意識しないといけない。
選挙に行こうという気がしない、という知り合いがいたら、選挙とは、誰かを選ぶことを目的とするんじゃなくて、4年に一度低姿勢になる知事に、それまでの至らぬところを意識させるものなのだよ、と伝えてほしい。少なくとも愛知県では公文書をきちんと管理して公開する、というルールすらできていないのだから。
(了)